はるはる“ジュリー初心者tweets”まとめ保管庫

2020年2月に突然堕ちたジュリー初心者☆Twitter (@haruandwanko)で遊んでいます☆ここはツイートのまとめ保管庫☆https://j-toshokan.hateblo.jp/でブログやってます

石岡瑛子「風姿花伝」*あの美しい写真はジュリーのプレゼンから始まった

図書館のなかのジュリー

ビギナーJULIEファンの“はるはる”が、沢田研二様に関する(図書館で借りた)書籍を、
ジュリーに著しく偏った観点で語る読書メモです
(一般的な書評とは異なることをご了承ください)

 

ジュリー度:★★★★★(5段階)
石岡瑛子作品集「風姿花伝-EIKO by EIKO(日本語版)
求龍堂,1983年,定価1万8000円

 

Introduction

パルコの広告:1979年のPARCOメディアキャンペーンで展開したポスターや新聞広告のこと。アートディレクター:石岡瑛子さん、モデル:ジュリーで、2人が組んだ最初の作品。上半身裸のショットが多いが、フィリピンのシコゴン島で撮影したフルヌードも披露。

水の皮膚:1980年発行のジュリー単体のヌード写真集。パルコの広告が好評だったため、キャンペーン終了後に出版計画が持ち上がり、同じスタッフ・同じ場所で2度目の撮影が行われた。

「撮られる側」と「創る側」双方の解説が読める

 私はですね、かなりモノを知らない人間でして。石岡瑛子さんがどれだけすごい人なのか、全然知らなかったわけです。だからヌード写真集なのに、なぜ女性がディレクターを務めたんだろう?とずっと謎だったんですよね。その謎を解いてくれたのが、これ。分厚くずっしりと重い超大型本、石岡瑛子作品集「風姿花伝-EIKO by EIKO」(日本語版)です。
 石岡瑛子さんは「資生堂入社後にグラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動し、独立後はパルコや角川書店などの広告で1970年代の日本で活躍。1980年代からは拠点をニューヨークに移し国際的に活動した。2008年北京オリンピック開会式では衣装デザインを担当」(Wikipediaより抜粋)という輝かしい経歴を持つ方で、1985年にはジュリー出演の映画「Mishima: A Life In Four Chapters」の美術も担当されています。

 この作品集には1983年頃までの作品がオールカラーで載っており、そのひとつとして「パルコの広告」と「水の皮膚」が取り上げられています。で、ジュリーの掲載写真はなんと20カット以上(ありがたやー)。

 この作品集がすごいのは、すべての作品を石岡さん自身が解説していること。もちろんジュリーの作品も製作経緯や、編集の意図、撮影時のエピソードなどが解説されています。初心者の私にとっては「え?そうなの?」ってことが満載で、この解説を読む前と後では水の皮膚の見方が変わりました。

 さらにジュリーの寄稿文(文体が明らかに違うので、別の人がまとめたのだと思うけれど)もあるので、「撮られる側」と「創る側」双方の解説を読むことができるという、すばらしい一冊となっております。

 それでは石岡さんとジュリーの文章をヒントに「ジュリーのヌード」を深読みしていきましょう。

※この記事では、以前アップした「水の皮膚の読書メモ」との重複部分は端折っています。先に「水の皮膚」の記事→こちら を参照されると読みやすくなると思います。

※この記事中で“ ”で括っている部分は、すべて「風姿花伝」からの引用です。

撮られる側-ジュリーサイドからの考察

 最初にジュリーの寄稿文の感想と考察です。ジュリー初心者の私は知らないことだらけでした。先輩ファンの皆さまには常識なのだと思いますが、なにとぞお付き合いを。

①石岡さん(パルコ)にアプローチしたのはジュリー本人

 これ全然知らなかった! 昭和50年代のイケイケ(死語)のパルコが、センセーショナリズムを狙ってジュリーを裸にしちゃったんだろうと勝手に思っていました。それが実はジュリーサイドからのアプローチで、しかも石岡さんにジュリー本人がプレゼンしたというのはかなりびっくり。

 それまで手がけてきた作品を軒並み成功させてきた石岡さんを“神話のような存在”と思っていたジュリーは、“石岡さんの演出で、パルコの表現のキャラクターにぜひ登場してみたいと願って”いました。そしてそれを叶えるためにジュリー本人が石岡さんに会い「なぜこの仕事を実現したいか」「なぜ石岡さんでなければいけないか」を、“すっかり緊張していたが“”懸命に話をした”そうです(かわいいー♡)。

 わざわざ“パルコの表現のキャラクター”と書いてあるので、ジュリーにはパルコの先進的なイメージを自分に紐づけたいという思惑もあったのかな?なんてちょっと下世話に思ったりも(もちろん「石岡さんに演出されたい」という気持ちが一番だったのでしょうが)。 

②ジュリーには明確なイメージがあった

 ジュリーが「石岡さんと組みたい」と考えた理由のひとつが、1976年頃のパルコのテレビCMを見たこと。これは美しい外国人青年がプールで泳ぐ映像で、「風姿花伝」にもカット割りされた写真が掲載されています。

 バタフライで泳ぐ顔にザッパーと水がかかる感じや、裸の体から大量の水がつるつると滴る感じがどことなく「水の皮膚」と似ている、とても美しい映像なのですが、ジュリーはそれに“ショックを受けた”そう。

 昭和50年代の日本には「男を美しく表現する」という概念はなかった…のかな?(時代考証はしていませんが)。力強さ、たくましさ、無骨さあたりが男らしさの表現手段だったのでしょうかね。そんな時代に、美貌の青年がありのままの姿で美しく表現された芸術性あふれるCMを見ちゃったら、そりゃジュリーだって衝撃に思うでしょう。そして下記の考えを強めるわけです。

 新曲を出すごとに変わる僕のメーキャップは、誉められたり、貶されたり、ファンはもとより、この世界に興味のない人達からも注目されてきた。しかし僕は、いつも不満でいっぱいだった。もっと美しく、もっときわだった自分を創りたかった。メーキャップやコスチュームに凝るより、素顔の沢田研二が持っている美しさが出したかった。

 これ、語っている内容としては、だいたいいつものジュリーと同じなのですが、「おや?」と思う部分もありました。ひとつは“不満でいっぱい”ってところ。そこまで言っちゃうと、タケジ*1がショック受けないか?とちょっと心配に…(わたし、タケジが大好きだし)。
 もうひとつ(こっちが本題)は“素顔の沢田研二が持っている美しさ”です。これは「あー、自分で美しいって言っちゃうんだ」と…(いや、間違いなく美しいんだけど、自分で言うのがちょっと意外に思えてツボりました)。

 生まれ持つ素晴らしい美貌のジュリーが、そのCM映像を見て「自分の美しさはどう見えるのか?」「自分も飾っていないありのままを表現されてみたい」と思ったのは想像に難くありません。

 以上のことから、ジュリーは「石岡さんに」「素顔の沢田研二の美しさ」を表現してほしくて、パルコのキャラクターに使って欲しいと願ったと推察できます。

③全裸に抵抗なし。でも石岡さん以外ならやらなかった

 シコゴン島の光と風は、たしかに僕を解放し、東京の打合せでは、出なかった全裸の撮影という石岡さんの口説きにも、まったく抵抗はなかった。もっとも全裸の条件は、石岡さん以外の演出家ならば断っていただろう。(中略)すべてが石岡演出にのせられ、僕は素直に、裸になれた。

 このジュリーの寄稿文からは、撮影地に着いてから初めて全裸を提案されたけど 、まったく抵抗なく素直に全裸になったと読めますが、れは今まで見聞きしてきた情報と少し違うぞ。

 定説は、恥ずかしさはあったし隠してもいいけどと言われたけれど、石岡さんにノセられ「もういいや!」と覚悟を決めてフルオープン、または「裸に慣れてもらうため」と言われ島に着いた瞬間からスッポンポン(笑)、だったような。あ、違う本だけど、こんなインタビューを見つけました。

「こういうのにしたいんだけど、いやならいいです」って、言い方にもよるんだろうね。うまいんだよね。たかが裸くらいのことで断ったりしたら男らしくないナとか、カワイコちゃんじゃあるまいし、なんてすぐ思うわけね。「いや、大丈夫ですよ。別にマエバリも何もナシで」なんてカッコつけちゃうわけね(PLAY BOY,1980,8) 

 抵抗あったの? なかったの? どっちだよ!って感じですけど、ニュアンスの違いにも思えるから、まあいいか(マエバリという言葉が裸仕事の多さを実感させますな)。

 でも、全裸になって結果オーライだったと思うんですよね。当時はかなり話題になったのだろうし、革新的な試みをしたというイメージはジュリーに相当プラスに働いたと思うからです。 

④今までに見ることのできなかった沢田研二

(この項の詳細は→こちらをご参照ください)

 すべてを脱ぎ捨てた「ありのままの素顔の沢田研二」を撮影した写真は、その後石岡さんが大胆にトリミングしてドアップに加工します。

 ジュリーはその写真の中の自分を、“今までに見ることのできなかった、沢田研二“と記しているので、ジュリー自身も知らなかった自身の美の表現に成功したと考えたのでしょうね。

 私もあの写真集で「今まで知らなかった沢田研二の美しさ」を見ました。受けるイメージは十人十色だとは思うけれど、鑑賞した人それぞれがそれまで知らなかったジュリーの美しさを見たのではないかなぁと思っています。 

創る側-石岡瑛子さんサイドからの考察

 では続いて創る側の石岡さんサイドからの考察です。製版や印刷技術についてすごく興味深い解説もあるのですが(紙媒体やっている人はぜひ読んでみてー)、焦点をジュリーにしぼって石岡さんの解説を紐解いていきましょう。

①スター沢田研二本人からの打診

 ジュリーから「自分を演出する気持ちはないか」と打診された石岡さんはこう思います↓ 

 沢田研二からの申し出は、私を動揺させた。今までは自分からアイデアを出して、それにふさわしい素材を私の方から探すという方法をとってきたのに、考えてもいなかった素材の側の人間からアタックされてしまったのだ。


 それまで自分のイメージに合った素材(色のついていない無名な人)を探してクリエイティブしてきたのに、とんでもない素材、しかも日本国民全員が知っててそれぞれが「私のジュリー像」を持っているスーパースター(色がつきすぎている…)が「自分を演出してほしい」と言ってきたら、そりゃ動揺するよね…。 


②ヌードという表現手法になった理由

 ジュリーの記述による、プレゼンを受けた石岡さんの反応はコレ↓

あなたのその熱意に動かされてしまったので、スター沢田研二という素材を安易に使うのではなく、なにかいい方法があるかどうか考えてみます”とはっきり言われた

 そして石岡さんの考えはコレ↓

スターを起用して広告を考えるなら、他の誰もがやったことのないアプローチを仕掛けてみるのも悪くないなと私は考えていた。

裸になるというだけのシンプルな状況を設定したら、スター沢田研二は、自分をどう表出してくるだろう、というところを見定めてキャンペーンを展開することにした。

 スターを使ったクリエイティブって、割と単純な気がします。そのスターのパブリックイメージをパルコの戦略に当てはめればいい。あとはどんな風に創っても、それなりのものが完成すると思うんです。でもそんな安易な方法にはもちろんしたくない石岡さんが、誰もやったことがないいい方法を…と考えて行き着いたのが、ヌードだったんですね。しかもただ服を脱ぐだけじゃなく「スター沢田研二の、スターという意識さえも脱がせた状態」で魅せるためのヌード。

 石岡さんの作品を見ると、男女を問わずに人間のからだや肌の美しさで魅せているものが多いと気づきます。ジュリーがショックを受けたという青年のプールのCMも然り。

 「からだの美しさを魅せる石岡演出」「他の誰もがやったことのないアプローチ」「ありのままの沢田研二が持っている美しさの表現」という3点から、フルヌード、しかも男性の裸を美しく表現するという方法に行き着いたのでしょうね。

 前述したように、昭和50年代の日本には「男を美しく表現する」という概念はなかったのだと思うのです。なのにそれをフルヌード、しかもスーパースターで実現させたのですから、ほんとにすごいことだなぁと40年経った今でも感心するしかありません。 


③“表現者としての沢田研二

 フィリピンでの撮影クルーの中に、女性は石岡さんとメイク担当の外国人スタッフの2人だけ。このメイクさんが撮影中の裸のジュリーに、こう声をかけていました。

 “You’re so sexy”
 “You’re so beautiful ! ”

 ああ、このエピソード萌える(笑)。そう言われて、どんどんノッていくジュリーを想像すると、ほんと萌える(笑)。 

 裸になるというだけのシンプルな状況を設定したら、スター沢田研二は、自分をどう表出してくるだろう 

 石岡さんがジュリーからの打診に動揺した理由は、表現者表現者を演出」ということもあるのかなと想像しました。まったく色のついていないモデルなら、思うままに自由に演出できる。でも相手は、自分を表現するのがめちゃくちゃ得意なスーパースターなわけです。

 しかし公開されたパルコの広告写真を見たら、ジュリー自身の表出と石岡さんの演出が合致し成功したことが一目でわかりますよね…。ジュリーは自分のありのままの美しさを表出したし、石岡さんはジュリーのスターという意識を脱がせてありのままの沢田研二を登場させました。この2つの才能の掛け算で、ほんとうに美しい作品になっています。すばらしいものを見せていただき本当にありがとう(泣)というのが…40年後にファンになった者の素直な気持ちです。 


④特大アップで実現した新しい人物描写

 写真集「水の皮膚」がパルコの広告と大きく違っている点は、特大アップの多用。この手法と、そこから私が感じた人物描写については、水の皮膚の読書メモ(こちら )をご参照ください(長いのでこっちでは割愛)。

 石岡さんは水の皮膚で多用した構図を「劇的な映像」と記しています。それは度肝を抜かれるくらいのインパクトと、見る人の心に「今まで知らなかった沢田研二」を誕生させることに成功した映像とも言えるのだと思いました。 

 

おわりに

 「水の皮膚」を最初に鑑賞したとき、皮膚のキメまで見えるお尻のドアップ(しかも2カット)の意味が全然わからなくて、これは石岡さんの性的嗜好か?とかひどいことを考えていたんですが(ごめんなさい)、水の皮膚を図書館に返却する2日前にこの風姿花伝を読むことができ、理解がギリギリ間に合いました。

 そしてジュリーの文章に、“美しい水の島で、撮影中に流されたウイリー・ネルソンの「スターダスト」に包まれ”と書いてあるのを見て、ジュリーと同じ気分に浸ってみようと思ったらこんなこと↓になってしまいました。慣れないことをするものじゃありません(笑)

 

 

この記事はコメント欄未設定です。連絡・コメントはTwitter↓からお願いします。

 

*1:画家兼デザイナー・早川タケジ氏。1973年からジュリーの衣装やビジュアル面をプロデュースしている