はるはる“ジュリー初心者tweets”まとめ保管庫

2020年2月に突然堕ちたジュリー初心者☆Twitter (@haruandwanko)で遊んでいます☆ここはツイートのまとめ保管庫☆https://j-toshokan.hateblo.jp/でブログやってます

萩原健一「ショーケン」「ショーケン最終章」*ショーケンは言う。沢田は誠実な男だと

図書館のなかのジュリー

ビギナーJULIEファンの“はるはる”が、沢田研二様に関する(図書館で借りた)書籍を、
ジュリーに著しく偏った観点で語る読書メモです
(一般的な書評とは異なることをご了承ください)

 

ジュリー度:★★★(5段階)
萩原健一著「ショーケン講談社,2008年,本体1600円
ショーケン最終章」講談社,2019年,本体1500円

 

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 若いジュリーとショーケンが2人で楽しそうに歩いている映像を見ると、なんだか秘密のデートを覗いているようなイケナイ気持ちになります。ショーケンに対するジュリーの好き好きオーラが滲み出ていて、ほんとにまあかわいらしいこと♡ ジュリーが2歳も年上だとはちょっと信じられないくらいのかわいらしさでございます。

 というわけで、ショーケンの自伝を2冊読んでみました。私はジュリーファンになるまでショーケンがGS出身だとはまったく知らず、俳優でデビューした人だと思っていたんですね。イメージとしては「型破りな個性派でなんかお騒がせをしている人」で「触れたらあぶなそうな人」。だから亡くなる数年前にバラエティ番組で芸人さん相手に穏やかーに話していたのを見て、とても意外に思った記憶があります。

 自伝を読んで感じたのは、ショーケンは自分を辛い方へ辛い方へ追い込んでしまうタイプなのかな?ということでした。いつも何か満ち足りない気持ちを抱えていて、それを壊すために行動を起こしわざと辛い方向へ進んでいるように思える。大胆不敵に見えるけど実は繊細で、そのギャップの間で常にもがいているようで、読んでいてちょっとしんどくなる感じがありました。

 “飼い犬みたいな生活”だったというテンプターズを自分の意思で終わらせ、PYGは“歌では沢田研二と張り合えない”、“PYGでは自分を表現できない。ここには自分がない”と思ってしまう。そのうちジュリーの隣でタンバリンを叩いている自分に嫌気がさして、“ボーカルは沢田ひとりでいいだろう!”とタンカを切って出て行っちゃう。

 若いねぇーと思いながらも、そんな行動をとるショーケンが切なく思えてしまうのです。

ショーケンの言葉に浮かび上がるライバル心

 2冊の自伝の中にはジュリーのことが多く語られていました。怖い人たちに拉致された時の有名な逸話や、ジュリーとショーケンの2人はファンの女の子に絶対手をつけなかったという話も載っていますが、読みどころはショーケンによるジュリー評かと思います。

 読んで感じたのは、ジュリーへの親愛の情と強烈なライバル心。ジュリーを自分と対極の位置に置くような表現が目立つんですね。例えば…

 

 ぼくのように決して自ら主張せず、誰かが創作した歌を与えられ、それを誠実に歌う。プロデューサーがつくりあげたイメージを存分に表現してみせる。歌の貴公子です。

   ジュリーのすごいところは、プロデューサーの意向をパーフェクトに実行し、開花させる誠実さにある。与えられた指示をものの見事にやり遂げる。つまり彼の才能は、自らを生かすセンスを持つプロデューサーと出会ったときにこそ最高に輝くのだ。

 

 バンド観においても同様に対極であると強調します。ショーケンが率いていたバンド「ドンジャン・ロックンロール・バンド」の主要メンバーが、のちにジュリーのバンド「CO-CóLO」になることについて

    だけど、あのバンド、沢田には使いこなせないだろうな……

 おれはバンドをやるとき、自分もバンドの一員だと思っている。バンドありきで、自分がある。けど沢田にとってのバンドというのは、要するに自分のバックバンドだから。自分が歌を歌うための演奏をちゃんとやってくれればいいんで、バンドとしていいライブを見せよう、なんてことはハナから考えちゃいない。


 なかなか辛辣ですが、ショーケンは自分が破天荒であると強調したり、自分の感性を説明したりするために、あえてジュリーを対極に置いて引き合いに出したのかな?なんて思いました。世間では「ショーケンといえばジュリー」のように思われているから、ジュリーを使って説明すればわかりやすく伝わるという思惑もあったかもしれませんが。

 でも辛辣なのは一部だけ。文章全体からは、むしろジュリーへの親愛の気持ちがあふれているんですよね。

 

 客が入らなくても、ファン同士がケンカをしても、沢田はいつも一生懸命歌っていた。

「歌が命だ」

沢田研二は、はっきりそう言った。

 ぼくのように決して自ら主張せず、誰かが創作した歌を与えられ、それを誠実に歌う。プロデューサーがつくりあげたイメージを存分に表現してみせる。歌の貴公子です。(「ショーケン」27p)

 ジュリーのすごいところは、プロデューサーの意向をパーフェクトに実行し、開花させる誠実さにある。(「ショーケン最終章」195p)

 
 どちらの本にも「誠実」という言葉が出てきます。ショーケンはジュリーを「誠実で一生懸命な男」と捉えていたんだと思うんですね。誠実で一生懸命。これはファンの私が読んでもうれしいなぁ。

 「歌が命だ」の言葉は、歌に対するジュリーの姿勢が表われていますよね。これを紹介するということは、自分がかなわないと思った「歌手ジュリー」へのリスペクトなんだなと感じました。

 2冊の自伝には多くの人の実名が出てきますが、家族と妻たち以外では、ページの分量はジュリーが一番多いと思います。亡くなる前年から編纂を始めた「ショーケン最終章」でも、目次に個人名が載っているのはジュリーだけ。だからショーケンはそれだけ人生を通してずっとジュリーを意識していたし、ジュリーのことが大好きだったんだろうと思うのです。

 本を読んだ後に知ったのですが、ショーケンが亡くなった翌々月のライブでジュリーも、“俺はあいつが大好きだ”と言っているんですね…。

 ジュリーとは歌で張り合えないと感じ、(紆余曲折はあったけれど)俳優への道へ進んだショーケン。ジュリーがいなかったら、俳優ショーケンは誕生していなかったかもしれないと考えると、この2人の縁はずいぶんと深いのだなと思えるのです。

 

ヘビーな話も書いてある

 この自伝でショーケンは、恐喝未遂事件、後輩俳優へのパワハラ疑惑など様々なことを赤裸々に語っていますが、とりわけ大麻不法所持での逮捕(1983年)は詳細に描かれています。

 テンプターズの時代から逮捕されるまで、おれはコンサートの前には必ず大麻を吸っていた。例外はただの一度もない。

 ということは当然PYGの時もそうだったわけで。

 ショーケンが人前で大麻を吸っていたのかは分からない(逮捕当時の妻のいしだあゆみの前では絶対に吸わなかった、と書いてある)けれど、麻薬が身近にある環境ならばフラフラと引き寄せられる人も世の中にはいるでしょう。ジュリーはクスリをやらない人だと信じているから安心して読めたけど、これはなかなかヘビーな話でした。

初心者ファンの感想を少し

 ショーケンのジュリー評について感想を少し。

 ジュリーのすごいところは、プロデュースされる前と、されてからなのかなぁと思います(初心者が生意気言ってすみません!)。自分を輝かせるプロデューサーを引き寄せる力と、プロデュースされた内容をいったん自分の中に取り入れてからの、昇華のさせ方がとんでもなくすごい。

 前者には運も実力も必要だし、後者は研鑽を重ねた超一流の表現者だからこそできること。いずれもジュリーだから実現できたと思うんですよね。

 バンド観については、ショーケン自身は

 バンドをやるとき、自分もバンドの一員だと思っている。バンドありきで、自分がある。

だから「沢田とは違う」ということのようですが、ジュリーもそう思ってバンドやっていた時期があるわけで(エキゾティクスやCO-CóLO)。それでもやっぱり違うのかな? それともショーケンPYG時代のことを言っているのか…? これに関しては私の知識が浅すぎてよくわかりません。

 “使いこなせないだろう”に関しては、確かにジュリーも解散したあとに「CO-CóLOのメンバーに『練習やって』とお願いしてもやってくれなくて、ぼくパニック(意訳です)」と言っていたし、3年で解散しているからどうだったんでしょうかね? でもCO-CóLOとジュリーはすごく落ち着いた大人の職人集団のように見えて(テレビ出演シーンしか見たことないけど)、私はすごくステキだと思うんですけどね。

 

 そういえば、読んでいて思わず笑っちゃったのがこれ。

 一度ジュリーのコンサートを見て驚いたのは、ジュリーのMCが異常に長いとだった。

 …異常と言われておる(笑)。ジュリー本人にもそう言ったそうだけれど、残念ながらジュリーの反応は書いてありませんでした(知りたかったぞい)。

 「ショーケン」と「ショーケン最終章」にはここに紹介した以外の、ジュリーやサリー、井上堯之さんの話も載っているので、ぜひ読んでみてください。井上バンドを辞め俳優の道を選んだサリーにショーケンがかけた言葉は、今読むとかなり深くてびっくりします。

 なお、ショーケンの自伝は「俺の人生どっかおかしい」という本もありますが、これにはジュリーは登場しませんでした。

 

ショーケンが観たい

 2008年出版の「ショーケン」の中には、ショーケンが若い頃から病気や死を恐れていたこと、とりわけガンに対する恐怖心があちこちに垣間見えていました。そんなショーケンががんに命を奪われた*1のは、とてもやるせなく思います。でも余命宣告を受けてから編纂を始めた「ショーケン最終章」(2019年出版)を読み、一緒に人生を歩みたいと思えた女性がそばにいてくれたことと、最期の時を穏やかに迎えられる心境になっていったことがわかって、少し安心することができました。

 2冊の自伝にはショーケンの作品についても多く記されています。特に残された時間を知ってから、自分の生を刻みつけるように出演した晩年の作品への思い入れには胸を打たれました。ジュリーのファンにならなければ、知り得なかったショーケンの想い。この巡り合わせに感謝し、ショーケンの作品が観てみたいと思いました。

 

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*1:2019年3月26日、消化管間質腫瘍(希少がんの一種)で逝去