原田マハ「キネマの神様」☆スクリーンに映るジュリーを想像して泣く
図書館のなかのジュリー
ビギナーJULIEファンの“はるはる”が、ジュリーに関する(図書館で借りた)書籍をジュリー愛に偏った観点で語る読書メモです
(一般的な書評とは異なることをご了承ください)
映画の公式サイトで発表されているストーリーはこちら
無類のギャンブル好きなゴウ(沢田研二)は、妻・淑子(宮本信子)や家族に見放されたダメ親父。
そんな彼にも、たった一つだけ愛してやまないものがあった。
それは【映画】−。
行きつけの名画座の館主・テラシンとゴウは、かつて映画の撮影所で働く仲間だった。
若き日のゴウ(菅田将暉)たちは、
時代を代表する名監督やスター俳優に囲まれながら夢を追い求め、青春を駆け抜けていた。
しかしゴウとテラシンがともに食堂の娘(永野芽郁)への恋心を抱き、運命の歯車は狂い始める…。
時代を超えて繰り広げられる、愛と友情の物語。
若き日のゴウが信じ続けた“映画の神様”が、時を超えてひとつの家族に奇跡をもたらす−
これを見てから小説を読むと、「ん??」としばらく思考が止まります(笑)。実は小説と映画ではかなり設定が違っています。小説版のネタバレが嫌な方はここでさようならしましょう。次の欄では50%程度ネタバレします。
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準備はよろしいでしょうか?
では始めますね。
小説と映画が大きく違う点は、「ゴウとテラシンは昔なじみではない」「ゴウの若い頃は小説には出てこない(子供時代の回想が1ページほどあります)」「食堂の娘?誰やそれ」ということです。小説にはジジイになったゴウしか出てきません。
小説の中のゴウはハゲています。“背中が大きく丸っこい”のでおそらく太っています。ギャンブルで負けてばかりのダメ親父というのは公式の設定通り。
小説の中の親友テラシンは、カーネルサンダースに似ています(ただし白いスーツは着ていない)。で、言葉遣いが女性っぽい(というかドクターXの晶さんみたいでした。落語家さんとかの言葉ぽいかもなのですが)。
で、私の読後すぐのツイートがこちら
キネマの神様 読了
— はるはる (@haruandwanko) June 4, 2020
ゴウをジュリー、親友テラシンを仮にサリーで当てて読み始めたけど
途中でゴウが志村、テラシンがジュリーになって
次はゴウもテラシンも2人ともジュリーになって
ついには3人目の重要人物までもジュリーになった😁
もう全員ジュリーがいいです#ジュリー初心者#沢田研二
思い切り感化されているww
なお3人目の重要人物はふさふさの白髪でルックス◎な(ロジカルで理屈をこねる)人なので、これもジュリーのイメージに重なった。
私の頭の中では全員ジュリー
肝心の内容ですが、とてもよかったです。ゴウと3人目の重要人物とのやりとり、その重要人物を想う気持ちには打たれました(完全ネタバレになるから詳しく書かないけど)。私はそんなに感動しいではなくむしろ醒めてる方なのですが、正直言うと読んでてボロ泣きでした。
ジュリーに関係なく読んでいたとしても、感動的な内容だと思うんです。でもね、私の頭の中ではゴウがジュリーになっているわけですよ。このセリフ、あのセリフが私の想像の中でジュリーがしゃべっているわけです。ゴウが得意げになる場面、ゴウが感傷的になる場面、ゴウが思い悩む場面、ゴウの心が叫ぶ場面、ゴウの涙、ゴウの笑顔…これ私の頭の中では全部ジュリーなんですよ!!
おまけに3人目の重要人物もジュリーになってますので、全員ジュリーになって私を泣かせに来る(笑)。この感覚、映画の情報があまり漏れていない今だけのチャンスだと思いますので、全国のジュリーファンの皆様にぜひ体感してほしいものです。
映画には小説の設定がどこまで活かされるかはわかりません。でも小説を読むとジュリーがゴウになってスクリーンに登場するのが想像できる。そしてそれだけでジワッと来る(笑)。私は映画館で人目もはばからず相当泣くと思います(どうしよう…)。
ああ、公開が楽しみだなぁ〜(でも設定に合わせて無理にハゲにはしてほしくないぞ)。
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読書メモ「図書館のなかのジュリー」更新しました。
— はるはる (@haruandwanko) June 19, 2020
原田マハ著「キネマの神様」
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